smilemakers

渋谷で働く広告会社の社長のブログ

 久しぶりに書きます。

いや〜、言い訳ですが、67月8月と夏を全く感じることもなく仕事に忙殺されておりました。さて、この10月から弊社は16期。創業16年目のスタートです。よろしくお願いします。

 

 さて、そんな中、今日は反省文みたいな、自分の行いへの戒めを。


images-3

 先日、代理店の20代若手と企画の与太話をしていた時のこと。(打合せの年齢構成は、20代の男子2名・女子1名。あとは50代の男3名。)で、何故かわかりませんが、鰻の話になりました。土用の丑の、鰻です。で、その時、20代の若手はみんな「肝吸い」を知らんかった。鰻の肝をいれたお吸い物を食したことがない、というのです。鰻には味噌汁でしょ!と言われ、僕ら50代のディレクター連中は、「アレレ!」になってしまったのです。ついでに、これは関西以西では、余りないと思いますが、関東の若者は「ふぐ料理」を知らん。「てっさ」「てっちり」そして「ひれ酒」も知らん、のです。たしかに、そうでした(関東では高級料理ですものね)。

 ここにコミュニケーションに深い溝が生まれます。名付けて、肝吸い断層。(または、ひれ酒断層)。ふだんの料理は兎も角、ちょいと値が張る料理や、伝統料理、若手だけでは行きつけないお店を経験させるのは目上の義務であると育ちました。と、すると、僕は若手に食の経験を積ませていない、ということになります。僕らは、よく飯好きな先輩にあちこち連れ回されました。毎回、仕事について厳しい指導が入るのが常の“夜の学校”でしたが、いろんなお店で作法も含め、食事を堪能させていただいた。大きな仕事が終わった後の、ご褒美でもありました。外での<食べる・飲む>は、まさに社交の場なんです。名店を知る、またとない機会でもありました。食べ方は綺麗か、姿勢はいいか、ちゃんと残さず食べるか、注文は下品じゃないか。料理人の仕事を見たか。勘定の仕方はどうだ。いろんな先輩の指導を思い出します。まさに食は学校でした。諸先輩、ありがとう。食事も仕事の延長上にありますね。反省。

 

僕らはよく企業課題や商品課題を戴く。
売り方を考えて欲しい。
ファンを増やして欲しい。
企業イメージを高めて欲しい。
人材を集めて欲しい、、、云々と。

課題を解決するためには、解決する力より質問をする力が問われると言う。
課題をそのまま鵜呑みにしていては、本当の解はなかなか見つからないということ。
なぜ、その課題が課題になったのか?
の本質を追求していくと、解決策の導きは左程難しくない。
逆に解決策がなかなか出せない時は、最初に戻って質問すればいい、と考える。

以前、なにかの本で読んだのだが、「もしも、おばあさんと桃太郎が質問力を身につけたら」というのがあった。

(裏覚えだけど) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


子どもがいなかったおじいさんとおばあさんは川に流れてきた大きな桃から桃太郎を授かる。
我が子のように大切に育て、立派な青年になっていく。
鬼が、村人を苦しめていることを知った桃太郎は、鬼退治に行く。
道中で、きび団子をあげて、犬、猿、キジを家来にする。
酒盛りをして油断していた鬼を退治して、鬼の持っていた宝を持ち帰る。
めでたし、めでたし。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ざっくりだけど、こんな話。 
①もしも、ここでお婆さんが「質問力」を身につけていたら、どうなっていたか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
桃太郎「鬼が悪さをしてるらしい。退治に行ってくる!」

お婆さん「あら、大変。なんで退治したいの?」

桃太郎「そりゃ、村人が困ってるし!」

お婆さん「そうだね。でも、鬼さんは、何で悪さをするんだろうね?」

桃太郎「さあ、お腹でもすいてるんじゃない?」

お婆さん「そっか。鬼さんも困ってるのかなー?」

桃太郎「そうだねー。お腹空いちゃうと、暴れたくもなるよね」

お婆さん「どうしたらいいかなー?」

桃太郎「お腹いっぱいにしてあげたら、暴れないんじゃない」

お婆さん「そうかもね。もし、あなたが鬼さんだったら、どうしてほしい?」

桃太郎「いきなり、退治されたら嫌だ。家族もいるし」

お婆さん「そうだよね。じゃあ、どうする?」

桃太郎「いきなり攻撃するのはやめる。まずは、きび団子をあげて、仲良くなる。その後、なんで村人に悪さするのか聞いてみる」

お婆さん「それは、ステキなことだね。」

となっていたかも。
そうなると 桃太郎も鬼も、みんな幸せになれていたかも! 桃太郎から見れば、鬼は敵。 鬼から見れば、桃太郎は敵。 でも、どちらが正義か?正しいか?って話に持ち込むとどっちにもいい分はある訳で。 お互いを受け入れる話ができるといい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

②つづけて もしも、桃太郎が質問力を身につけていたら…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

桃太郎「なんで村人に悪さするの?」

鬼「お腹すいてるし、村人が怖がって、悪さしてくるんだよ」

桃太郎「じゃあ、とりあえず、きび団子食べる?」

鬼「え、いいの!ありがとうー!」

桃太郎「でさ、鬼は、本当はどうしたいの?」

鬼「みんなで、仲良く暮らしたいよー」

桃太郎「OK!どうすれば、仲良くできる?」

鬼「たぶん、僕たちのことを知らないから怖いんだと思う」

桃太郎「そうかもね。じゃあ、1回、村人と一緒に飲み会する?」

鬼「うん、ぜひぜひ!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

となってたかも。
質問をすることで 相手が感じている深い想いを引き出すことができる。
表面的な行動ではなく その奥にある「本音」を引き出せる。
これが、質問力!!! 家庭でも、会社でも、人生でも そこに、質問があると、もっと豊かになる、スマイルが生まれると思うんだな。
 
昨今、騒がしい北朝鮮問題。
でぶちんのキムさんに、いい質問してくれるリーダーはいないものかな。
トランプさん、にもだけど。 まさに英雄の不在だね、世の中は。

 3月18日、大阪の太閤園に東京、名古屋、大阪のほぼ全スタッフとOBたちが集まった。約80名。都合がつかなかったも人も含めてみれば優に100名は越える集団になった。1977年3月、大阪市西区に誕生した小さな広告プロダクションは、二度目の二十歳を迎えた。感謝というしかない。よくぞここまで、という驚きもある。心から、ありがとうございます。  

40周年パーティ


 僕は1983年の夏にコピーライターの学校の先生の紹介でアルバイト入社、翌1984年1月に正社員となった。まだ社員数12名の小さな会社。連日コピーの修行だった。毎日100本。毎朝、社長に提出する。いつもゴミ箱行き。「アホ!ボケ!カス!シネ!」の連続だった。「こんな言葉で人が動くか!」「ラーメン屋の兄ちゃんでも書けるぞ!」と罵倒の嵐だった(毎回、ラーメン屋の兄ちゃんに、なんて失礼な!と思っていたことか)。できなかったら、また100本。さらに100本。コピーは数ではなく、量で査定された。1つの仕事のコピーにOKをもらうのに毎回1000本近く書いたかな。ワープロもない時代、原稿用紙と鉛筆だけ。ペンダコが腫れて潰れた記憶もある。残酷なまでのコピーノックである。徹夜の連続で、いまじゃ間違いなく「真っ黒クロスケ」のブラック企業扱いになる。が、なにくそ!いまに見ておれ!と社長に殺意を抱くほど書いていた(笑)。  

 反面、社内は物凄く楽しかった。昼夜問わず「広告の学校」だった。アメリカの広告をお手本にして、マジソンアベニューのアドマンの考え方や視点を学んだ。先輩の企画書の書き方や巧みなプレゼンにいちいち声をあげていた。当時、秋山晶さんや土屋耕一さん、キラ星の如く現れてきた糸井さん、仲畑さん、岩崎さんのまさしく「コピーの時代」だったのだ。コピー年鑑を書き写し(写経と呼んだ)、文体、文字のリズム、句読点の打ち方も盗んだ。仕事が終わってからも、「広告」を肴にして仲間や先輩と朝まで飲んでいた。そんな熱く青い時代だった。  

 26歳で東京に出た。東京事務所を開設した。デザイナーを一人連れだって、新天地で腕まくりで仕事をした。折しもバブル全盛。ご祝儀仕事もあり、あふれんばかりの仕事に恵まれた。ご縁や社員のやりたいことに応えて、名古屋事務所をつくり、福岡事務所をつくり、そして福岡事務所は畳み(笑)。新規事業をいくつか立ち上げ、いまとなった。2002年には東京と大阪を分社して、それぞれ独立したけど、グループの意識は変わらない。    

 30年存続する企業は0.02%と言われる時代、幸運にも40年を迎えることができた。次はめざせ50年。広告の事業スタイルは変わるかもしれないが、「クリエイティブで世の中にスマイルをつくり続ける因子」は残しつづけたい。僕は個人的には100人規模の1つの大きな会社よりも、10人の会社を10個つくって、やりたいクリエイティブを小粒でも追求できるネットワークになっていくんじゃないかな、と勝手に思っている。後輩たちよ、よろしく頼むよ、楽しんでね。やりたい未来は、みんなの手にあると思います。

↑このページのトップヘ